肥後国之内熊本領産物帳にみる熊本の川魚名

2017年10月5日

何時の間にか川魚の古名を調べるのがメインとなっていますが、忘れてならないのがイワナの古名が九州にもあったのではないだろうかということ。

ちなみに、ほんしい、たつくり、にかこうというのが大分での不明な川魚の古名。おそらく汽水域の魚がメインであることに注意しつつ、今回は肥後国之内熊本領産物帳で熊本県の川魚の古名をみていきます。

桜も美しい季節となりました。渓も河口ものべ竿で楽しむのに最適の季節となってますね^^ まぁ桜茶でも傾けながらご覧くださいませ。

※一部魚名情報いただきましたので文章を追加しました。

川傍の桜

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肥後国之内熊本領産物帳と細川氏

肥後国之内熊本領産物帳は、前掲の豊後国之内熊本領産物帳と同じく旧藩主の細川家永青文庫に納められていたもので、享保20(1735)年つまり八代将軍徳川吉宗の頃の書。享保年間に幕府宛に報告された諸国物産帳の一つであり、熊本領分の控となります。現代でも同じく提出する報告書類は複数作成しますよね。当時も一緒ですが、提出先の幕府が整理したはずの本物が残っていないのがなんとも残念です。

今回は、この史料を遺してくれた細川家について少しみておきましょう。

NHKの大河などにも顔を出す、細川忠興が豊前小倉藩初代藩主であり、肥後細川家初代。いわば戦国~江戸初期のメジャー武将・大名で、ご存知その正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)、父は藤孝。関が原の論功行賞により1600年豊前国中津・豊後国杵築計39万9千石(小倉に藩庁を移す前段階、後小倉藩)、その後1632年に加増され肥後熊本藩54万石となる。

手永制など興味深い点が細川家の施策においてみられるが、ここでは割愛。江戸~明治にかけて細川氏の治世が与えた影響は北九州、大分、熊本の広い範囲に及んでいたことのみを指摘しておきます。ただし、肥後国のうち天草は天領であり、人吉・球磨地方は相良氏の人吉藩でありました。

さて。次段では本題の淡水魚名を見てみましょう。

遺されていた熊本の川魚名

では早速、肥後国之内熊本領産物帳に淡水魚として記されていたものを並べてみます。

泥鰌、鯉、鮒、鱸、鰡、ゑぶな、いだ、鮎、鯰、はへ、
鰻○(魚編に麗)魚、どんくう、ごり、阿ぶらめ、ゑび、
水くり、ゑのは、めたか、○(魚編に朱)、赤魚、げんきう、
うそむき、びんた、小鱸(せいご)、はちふり、てふり、しいのふた、
みせ、阿さぢ、川白魚

全国に通じないのは、いだ=ウグイでしょうか。
そして鰻○(魚編に麗)魚はうなぎ、どんくうはどんこ(カジカ類のこと)と大分同様に比定。

で、鯉鮒鮎等以外で現代に通じない不明な魚名を抜き出すと、

ゑぶな、水くり、○(魚編に朱)、赤魚、げんきう、
うそむき、びんた、はちふり、てふり、しいのふた、
みせ、阿さぢ、川白魚

正直「参りました!」です・・・。川白魚、赤魚あたりはまぁいきあたりそうですがねぇ。とりあえずはチャチャっとグーグル先生と諸橋先生(大漢和様)に聞いてみました。

・○(魚編に朱)⇒かまつか
・川白魚⇒シロウオは「素魚」、シラウオは「白魚」とされてますから現段階では後者で。
・赤魚⇒ハゼ科の魚としるされるも、それってなにwという状態。
・ゑぶな⇒ぼらの幼魚
・しいのふた⇒ヒイラギ 汽水に棲むあれ。シイバ(椎葉か?)ともいう。

ということで現段階での不明な淡水魚名は、
げんきう、うそむき、びんた、はちふり、てふり、みせ、阿さぢ
としておきます。

げんきう、うそむき、はちふり、てふりあたりは、個人的にどこかで聞いた記憶があるのですがね・・・。
現代仮名遣いによる発音も片隅に入れつつ、今後の捜索をしてみます。
熊本の方で分かる方に教えていただけると助かります♪

方言の語彙などもあたる必要性がありますね。まいったなこれww

せいじゃんばばjyさんからの情報

情報いただき、ありがとうございます。本当に助かります♪ 詳細はコメント欄に譲りますが、わかりやすくこちらにも掲載させていただきます。

ギギ→「げんぎゅ」=げんきう
ムギツク→「ウソクチ」≒うそむき
(他にも例有なので一応これで^^)
たなご→「しびんちゃ」≒びんた
(これは、個人的に多分です^^;)
カワムツ→「あさで」≒阿さぢ

筑後川方面ではオヤニラミ→「みずくりせいべい」、菊池川では「せいじゃんばば」。

オヤニラミの名前はすごいです。これは怪しいです、間違いなく曰くモノガタリありそうですよね^^ ということでググってみますと、みずくりせいべいは速効でしたw 機会を見て本館の方でまとめてみたいです、せいじゃんばばjyさん本当にありがとうございました。

ということで、残ったのは「はちふり、てふり、みせ」ですか…。一応、はちふりとてふりは、ぽいのが見えてますがどうやらイワナは見えてこないようですね、これは。

エノハ・マダラの境界線

日向国のマダラ

さてトラウトファンの期待であるエノハに焦点をあてるため、一つの史料を提示しましょう。
本館にては既出ですが、肥後国之内熊本領産物帳には産物註書(前帳の註書として比定されているもの)というのがあり、そこには「ゑのは」が記されていますので書き出してみましょう。

川魚にて山川に四季共に居、五六寸程にして、
背薄黒にまだら有之、腹白く尺ニおよび申候

ふむふむ、身体にマダラ模様があるというのにエノハなわけですね^^

前述のとおり人吉・球磨地方は相良氏の人吉藩であり、この地方の同時期における産物帳は今のところみておりませんが、参考となるのは相良家の森平左ェ門の編による「肥後国球磨郡米良山産物帳」であり、米良主膳領内(宮崎県児湯郡米良山)の産物が記されている。

※当時の米良山地方の越野尾村・横野村・村所村・竹原村・板谷村・上米良村・小川村(以上、現西米良村)、銀鏡村・八重村・尾八重村・寒川村・中尾村・上揚村・中之又村(以上、現西都市)などが、肥後国球磨郡に属していた。

この「米良山産物帳」に記されている魚類は、以下の通り。

どぢゃう、あゆ、まだら(ゑのは共申候)、
うなぎ、ささいだ、ごろめ(ごろち共申候)、あぶらめ、さんせうの魚(稀ニ有之)

これから想定できるのは、人吉、球磨、米良山方面(つまり現一ツ瀬川及び球磨川水系)では「まだら」であったということ。そして肥後国はゑのはとまだらの混称域であったのが、細川及び相良の行政関係によりそこに境界線が出来てしまったということである。

おそらく江戸以前の肥後は阿蘇氏らの北部でエノハ、南部の相良氏らの範囲でマダラというふたつの名称が、勢力の伸張・衰退とともに時間をかけて相克していたが、江戸期に政情が安定したことによって球磨川以南でマダラに確定したと考えられる。

なお、この時期のエノハというのは近代で言えばヤマメであり、現代で言えばトラウトにあたる言葉とも捉えられる。

残るは宮崎の境界線だなあww あれ魚名じゃなかったのか??

熊本領産物帳と細川氏の最後に

熊本領産物帳を遺してくれた細川氏のお陰で、かつてのエノハとマダラが見えてきました。

そして、
げんきう、うそむき、びんた、はちふり、てふり、みせ、阿さぢ
という魚名を遺してくれております。

そうそう、この中にイワナを示す単語があるのか? そこが問題なはずですよね^^ 期待できそうなのは・・・。
今後はどう進んでいくのか楽しみです。

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