九州イワナの天然分布に関する民俗学的考察序

2017年10月5日

イワナが釣れる場所が増えた!というのは、20数年ほど前の九州エノハ釣り環境と今とを比べるとはっきり言えます。それ以前に釣っていた四国のアメゴ釣りの際も確かにイワナは居りましたし、どうやら四国でもその生息域を広げているように聞こえてきてます。

個人的に放流イワナの駆逐を希望しておりますが、天然イワナ生息の可能性があるのではとの指摘も一部であります。これは四国に居た頃にも聞かれた問題で正直なところ「ロマン」だとも思いながら、どうしても心にかかる問題でありました。

形態、遺伝子等ではっきりすれば信憑性も高い(期待してます)でしょうが、自分で行う考察としてはその専門家ではないため却下。

そこでこの問題を元歴史民俗資料館員そして民俗学徒(柳田・折口・南方及び師匠、相変わらずの不勉強に陳謝)として考察してみようと。九州各地に出向きフィールドワークも重ねなければなりませんが、まずは身近な史料を捜索をしつつのスタートです☆

九州のイワナ

九州におけるイワナに関する伝承を存知おりの方は教えていただきたい、そんなつもりで起稿しています。
今回は今後の展開を期待する序章ということで自分の思考を整理するためにも大きく書き換えました。

※過去記事の移転・加筆分、只今継続調査中。
※北部九州の某河川にも生息していた可能性頂いてます、時間軸的に新しいのが微妙ですが。

スポンサーリンク

九州における天然イワナの生息の前提として

歴史及び民俗から考えうる「九州における天然イワナの生息の可能性」を探るための要点は一つ。
同様の魚が生息していたとした時に、イワナを示す単語があったはずということ。

その前提となるものとして、次の認識を掲げておきます。

  1. 大正期以前(より言えば、江戸期以前)の山間部における食糧事情の苦しさと魚食への憧れ。
  2. 九州山間部では狩猟も盛んであり、マタギと比するような組織的狩猟も行われていた。
  3. 木地師、山師や漂白民、その後の鉱山・炭焼き関係者が多く居た事や往時の人々の山での移動範囲の広さ。
  4. 明治以前の長い間、移住、開拓、山仕事など人跡未踏な谷は無いに等しい。

つまり、近くの沢にイワナに類する魚が居たであるならば、周辺住民にその存在が知られていない可能性は限りなく低い。この点を抑えれば、文献史料や口伝の聞き書き等に記されている可能性があるということ。

※記されていない可能性の論争は、単純に生息の否定をできないと同様に無意味。文献史料絶対主義でない自分ですが(笑!)

かつて四国の近世文書を散見している経験からは、アメゴ・アメノウオを見つけてはおらず、九州の近世文書に関してもエノハ類の言葉を見ていない。渓流釣り好きで近世及び中世の地方史料類に精通される方の意見を知りたいところであります。

別系統の史料(当時の百科事典の類とお考えください)だが、1700年代始めごろの「大和本草」、「三州物産絵図帳」、「和漢三才図会」他多数にエノハ、マダラが記されている。これらに記されているようなら、九州天然イワナは問題になっていないことは明白だが、「川鯖」「」「腹赤」はじめ記されている不明な各魚を現代の呼び名に当てはめる作業も裏付として必要だと考える。

※このカワサバは、現在見られるイワナとヤマメの交雑でなく史料内からの語彙として見られる。

イワナに類する言葉は見つかっていない。

そこで九州イワナの天然分布があったと仮定し、その語彙を探してみたい。まず全国的に残されているイワナの別名には、岩魚、嘉魚、イモウナ、イモウオ、切り口、ゴギなどがある。現段階では九州内で切り口、ゴギに類するイワナにあたるに相応しいものを前述の本草書の類からは確認できてはいない。

ところがあるご指摘をいただき、実はイワナという単語が記載された文献を見つけることができた。
それが、「祖母嶽」1925(大正14)年 秀英社 百渓碌郎太著。
その付録「祖母嶽に就て」93頁にはイワナの生息に関する次の記載がある。

「谷川には又イハナの類(マウンテン、トラウト)が沢山ゐて冬夏共食膳の淋しい事はないさうです」

祖母山周辺の往時を知る大事な資料と考えられるものでありまた語り手である「淋しい事はない」といわれた方は東京辺りから移住してここで炭を焼いていた人(仮に甲氏としておく)という。また著者である百渓氏は、祖母山周辺の動植物に関してかなり詳細に記しており、第2章には「祖母嶽の動物」(36ページ)に『渓流にエノハ、山椒魚等』と記している。

記されているのがイハナの類(マウンテン、トラウト)となっていることである。イハナだけならまだしも「マウンテン、トラウト」という言葉を使っていること自体が、個人的には遠来からの魚種と単語の移入を想起させる。

また第2章にて祖母山周辺の動植物を記しているが、イワナが居るのであれば食糧価値の高さからも、エノハ同様記載を怠らないと考えるべきだ。イワナの話は甲氏に後で聞いたとも考えられるが、「祖母嶽の動物」を概観している段階でイワナの名称が出てこないのはいかにも不自然。

つまりこの本文から理解しうるのは祖母嶽における同地区周辺のイワナ生息の聞き書きである。食べ物としてイワナが居り、祖母嶽の動物に載せていないことは、その天然分布に関しては残念ながら否定しうるものであり放流があったことを示しかねない記述でもある。

この甲氏の存在をフィールドで確認しておく必要性について、ここで注意を喚起しておく。その地域で行われていた炭焼きの場所や居住地の確認で本人の血筋でなくとも、近い人や同じような来歴をもつ存在がいればありがたい。その甲氏だが炭焼きであり遠路東京から来られたのことで、もしイワナ移入であれば関わっている可能性も高い。

このことは実は寄せられた質問からも浮かび上がったことである。ただ個人的には「祖母嶽の動物」の記述に食料源たるアブラメが抜けている点は不思議でもあり、イワナが抜けていたことを全否定できないとも考えている。

※これらの点について九州の渓流釣りに以下の質問(HN 皆本様)をいただいて居りました。
~~~~
九州のネイティブイワナの情報を求めてたら、ここに辿り着いて拝見させて頂きました。
マウンテントラウトの部分ですが、筆者の方が、イワナの名前を知らなかったって事の方は、考えられないのでしょうか?
~~~~
これを読ませていただき、なるほどと思い当たりました、ご質問いただき感謝しております。

あらためて「祖母嶽」の一文を読み返せば「イハナの類」を指摘されているのだと気付きました。私は本稿を改めている段階で百渓氏の裏付をとっておりませんので、彼の渓流魚に対する知見の度合いすら存じておりませんでした。

確かに皆本様の仰るとおり、百渓氏の聞き書きの際に甲氏がなにがしかの魚種の名前を言ったけれど、理解できずに再度聞き返し「イハナの類」だよもしくはそれに近い言葉を甲氏が分かりやすくいったことが考えられます。

ただ残念なのが、甲氏が東京からの流入者であり炭焼きであることです。

これが地元に永く居た人(その場合は炭焼きも可)であるならば、この文脈はご指摘の通り視点を変えて、天然イワナ分布に関して違う意味を持ってきた可能性があります。祖母嶽動物のイワナ記述が抜けている理由は「イハナ類の不明な魚」の為であり、イワナに類する語彙の存在とそのもの自体の生存です。

九州の谷に入る方々ならご存知の通りですが、この地域に限定せずとも炭焼き釜の跡は谷筋に数多く見られます。(現段階では、自身の九州炭焼きの歴史及びその従事者、また里山周辺と深山の炭焼き環境の違いと住食事情についても調べる必要性を指摘しておきます。)炭焼きの一部に里人でなく移動民に類するものがある場合、甲氏及びその周辺の裏側に深山での食糧事情の改善を目論んだ可能性を疑い得ず、というのが現時点でのとらざるを得ない考え方であります。

最後だしで恐縮なのではありますが、明治末期から大正期にかけて淡水魚の移植(エノハ類含め)がかなり行われていたことは、いくらかの口伝(エノハ他)や史料(カマツカ他)が見受けられ、同時期の移植による食料事情上改善に尽力感謝の石碑もあると聞き及んでいます。

大正以前の移入に関しては明治だから、イワナは冷水に棲むから考えられない、というのはあまりに現代的視点です。この文献で大正というのでつとに古く感じますけれど、米国よりニジマスの日本への移入はご存知の通り明治10(1877)年前後とされている。この文献の上梓よりすでに50年近くを経ていることを忘れてはなりません。

祖母嶽に記されているのはあくまでも「イワナの存在のみであり天然分布を示さず」というのが現時点の立場です。ぜひその他イワナ記載文献ご存知でしたらご教示ください。

フィールドワークでイワナに類する語彙を拾う

やはり問題となるのが、イワナを比定するにたる語彙です。往時の魚関連の言葉で不思議なものがあれば、口伝・文献資料問わずぜひ憧渓までお知らせください。

さて天然生息があった仮定として、歴史・民俗的にはイワナ=イワナ(イハナ含む)という表現であったか、それともイワナ=○○魚(仮)があったのか、ここが何より大事なのです。知識層・移動民は各地の情報や文献をに通じている可能性が高いため、常民もしくは里人・山人の言葉であるのが最高と考えます。

祖母嶽と同時期との推定で明治から大正期に例えば大分県の久住町(現竹田市)などでフィールドワークし、
「ヤマメかアマゴ居ますか?」と聞いてしまえば、
「そんなん知らん」と言われただろう。
しかし、「エノハ居ますか?」と問われたとすれば答えはすぐに返ってきたはずだ。
「下ん川に雨が上がっちからいっちょみよ、溜まりに取り残されとるけん」と。

もし仮に名付けた○○魚が生息していれば、
「イワナが居ますか?」の問いに対する答えは、
やはり「そんなの知らん」のはずである。

しかし○○魚でなく、「イワナはその谷の奥に居るよ」という返答があるとすればどうだろうか?
その言葉と魚が九州外からもたらされた可能性が充分に高いことがわかる。この点は中国地方にゴギ、紀伊半島に切り口という語彙と天然分布があることからも推定できる点である。

もし九州内におけるイワナという魚種をイワナと記す江戸期以前の文献史料による記載があれば、話は簡単になるのだが。

祖母嶽の記載以外の九州某箇所における大正から昭和初期における「この川には昔イワナが居った(土地の古老)」等々の口伝(研究論文でない故場所は明かせません)も、これまでの考察から分かるようにイワナという魚種の存在を示すだけであり、逆にイワナという単語を使用すること自体で放流があったことを強く示唆するものとなってしまう。

だからこそ、九州に天然のイワナが生息していたとすれば、江戸期以前の情報(できれば江戸中~前期)が必要であると考える。山奥だからイワナの生息を昔は知らなかったということは、自分の民俗学的な立場から歴史・単語を考えれば恐らくは考えられない。今よりも山、谷、川が身近にあった人々がその生息を知らないはずがなかったように思うからである。

思考の過程で少し語彙主義に陥っている部分はあるが、山間の人々にとって地名や動植物の名称は生きていくうえで重要な要素であるとの前提にも立っている。しかし、これら生物が通常の近世文書に残っているの可能性のほうが、イワナ天然分布の可能性より低いと笑う歴史関係者もいるだろう。

フィールドワークの際に天然イワナの生息確認をしたり、イワナの名前を先にだしてはならない。こちらから話者に規定をかけないのが鉄則、上述の通り。

「美味しい川魚といえば?」とか「エノハやアブラメ以外に食べていた魚はいませんか?」または「近くの谷に見たこともないような魚いませんか」と聞くべきです。もしも、変な言葉、文脈が出てきてその魚の特徴がイワナに近ければ、かなりあたりに近いと考えられます。

山の夕暮れ

============

というわけで、必要なのは時間軸をずらしつつ、大正以前の文献、口伝にかかる資料です♪ ここまで語彙を探すと言ってますが、おそらく比定にたるものは出て来る可能性はロマンの範疇だと思っています。

「不思議な魚」「みたこともない魚」「とんでもない大きな魚」なども頼りにしつつ、現在はエノハ再考及びカワサバと共にどこかに人知れずイワナが居たのでは、そう信じて九州生息川魚の語彙を調べてまいります。

面白そうな史料・口伝あれば、ぜひぜひお知らせくださいませ。裏が取れるような資料なら最高です。歴史的見地から九州天然イワナの生息に近づく大きな一歩となりますから。

※あわせて川魚全般・イワメ情報及び四国のイワナに類する語彙も募集してます。
※皆本様のご指摘でエノハという語彙の持っていたイメージが新たになったことは別の記事にてお知らせしたく思うと共に、この場を借りて氏に感謝いたします。

スポンサーリンク