イキナガとエンダシ 1970年代の大分っ子の喧嘩独楽遊び

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イキナガとエンダシ 大分の独楽遊び

前回の北川ゴマの紹介に続いて、今回は北川ゴマを使った遊び方。
1970年代に大分で流行したのが北川ゴマ、その形などはこちらから♪

全国で一般的な独楽遊戯の名称は知らないけれど、投げ上げて手に載せたり、紐を渡らせたりといったような曲芸はほとんどしないのも北川ゴマの特徴だったと思う。
もちろん、自分たちの親父やその上の世代はできてたし、それを教わって曲芸をすることもあった、でもそれはイキナガやエンダシが始まるまでの場繋ぎといういか、人が集まるまでの暇つぶしと云うかw
まぁ曲芸が巧い人間は、独楽を手に載せたりするのも巧いんだけれども♪

北川ゴマの本懐は、やはり喧嘩!
「いくでぇ~、どっきゃぁ~!」の掛け声とともに相手の独楽をケクルのみ♪

順番に投げて最後まで長く回転したものが勝ちというイキナガ。
相手の独楽をケクって円の外に出すエンダシ。

これらの用語やルールをWEB上にも記しておくのも、現代的な民俗研究だしねとの思いも弱冠♪

因みに以下の遊び方は、昭和40年前半生まれの大分市立敷戸小学校での事例。
「イヤイヤ、うちでは違うよ!」ってな話があれば、教えてほしい。

1970年代の大分独楽遊びの用語

キタガワもしくはモッコウショ 独楽を作る北川木工所のことw
イキナガ コマ回しの遊び方、また独楽が長く回ることを意味する。
イキツギ コマにエンナで回転を加えなおすこと。
エンダシ(円出し) コマ回しの遊び方。
ケクル・コクル コマをケクルことw 自ゴマの鉄芯にて相手のコマに打ち付けること。大きな傷を入れれるともう最高で、やられると泣きたくなるw 最悪割れるいや基本割るつもりで投げてケクル!
エンナ コマ回しの紐のこと。
インビ イキナガの一番手に回す人、以降ニビ・サンビ…最後が天下となる。
オンマ お手ともいう、回っているコマを手に乗せること。横から上からぶつけたり、相手の行動を制限したりと重要なテクニック。下手くそはコマを上にあげるようにオンマするが、上手い人は指で挟むような動きでオンマするので、回転を維持しやすい。
ツクリ 北川木工所にて定型のコマのこと セッケからこちらに来ることもあったと思われる。「ヘソ」お願いしますと言えばおk。
セッケ 自作のデザインを北川木工所にて作ってもらうこと、一種のブランド品?w
ガタ (が来る)ケクラれたり、堅い場所(アスファルトやコンクリ上)で回して、ヒビが入って回転がおかしくなった独楽。回転が安定せず、唸り方もおかしくなりイキナガなどで安定しない。

かなり独特な用語を使っていたのが分かります。知らない人が聞いたら何を言ってるのかw

イキナガとエンダシ

北川ゴマを使った遊びは二つ、イキナガとエンダシ。
以下でそれぞれの遊び方の説明と、若干の民俗的な考察をば♪

遊び方の一 イキナガ(息長か?)

大体5人以上で遊ぶ、10人超える様な場合は分かれたりする。
1 歌に合わせて全員一斉にコマを投げ、一番最後まで回ったコマの持ち主が天下となる。
  謳い文句は、「イキナガしょぉか しょぉくらべ ベニさんがベソかいた 隣のコマは割れゴマだ!」
  短い文句は、「イキナガしょぉか しょぉくらべ!」
  最後の!で投げる (おそらく、皆回すというより投げると言ってたような気が…)
2 早く息(コマの回転)が止まった人から、5人ならインビ、ニビ、サンビ、副将(もしくは将軍)、天下(テンカ)と順番を付ける。最初だけはイキツギやオンマ等は禁止で純粋な回転勝負。
3 インビから順に投げていく。インビ以外の人が「インビ、いっきゃ~!」と号令がかかると開始。
4 インビから順に天下まで投げるが、競うのは一番長く息が続いた(最後まで回っていた)コマが勝利ということ。投げる時には、すでに投げられている独楽をケクルのが基本。かなり巧くいけば吹っ飛ぶし、失敗すると自分の回転が足りなくなる。微妙なときはケクラずに投げるのみ。
5 天下が投げ終わるまで、イキツギ・オンマ禁止。
6 天下が投げ終えた後、オンマした人は「オンマぁ」と声を掛けると、一切のイキツギは禁止となる。オンマしたら他の独楽にぶつけるか、手を軽く揺らしてイキナガ(より長く回転する)勝負となる。
7 天下が最後までイキが続けば良いが、負けた場合は天下落ちとなり次回はインビ確定。2へと戻る。

※強い独楽が天下に居座っている場合は、天下が投げ終えてすぐにオンマしてぶつけて弱らせたりw
※強い独楽が天下落ちしたら、浮かびかがれないように目の敵の様にケクラれるw

いや、ホントに強い独楽(息の長い独楽)あったからなぁ、唸る音がひと際甲高かったような気がする。

遊び方の二 エンダシ(円出しか?)

イキナガだと弱い独楽をケクラ無い、手加減とかできるため、小さい子しかいない場合でもそれなりに遊べる。
ところがエンダシだと二度と回すことすら叶わなくなる危険性がありコマも痛む、泣き出されるのも困るwので、同学年や力量の近しい者同士で行うことになる、強者どものバトルロイヤル!と言えるかも。

大体5人以上で遊ぶ、かなり多くても可。
1 エンナとボロゴマを使い直径1m前後の円を描き、中心点をマークする。
2 じゃんけんなどで投げる順を決めて、順番に投げていく。その際は中心点に近く独楽が着地することが基準で、遠い方が負けとなるが、回らない・円に入らないのが最低となる。全員円に入って回った場合は、一番遠い人が負け。
 註:最初に投げる順番は、たしかイキナガのオンマ無、イキツギ無の勝負で順番を決めた記憶もある。
3 ここからがエンダシの本格的部分。負けた人の独楽は円の中に配置される。独楽が一個の場合は芯を地面に突き刺されてまさに無残。2~3個ある場合はまとめて転がして配置。
※回らなかった人、円に入らなかった人が居た場合は無条件で円の中に置かれる。回っても円の中で止まってしまえばダメw 円の中に一度は入った後で、独楽の独力(オサワリ禁止ヨ!)で円外に出なければいけない。息の長い事を競うのではないので、投げた独楽が円の外に出れば回転中でも止められる。
※円内で回転中の独楽には接触禁止、円外に出たらオンマ可。
4 順番に円の中(一度は円の中に独楽が入らないといけない)に投げ入れるが、基本は相手の独楽をケクル。投げた独楽に弾かれて円の外に出た独楽の持ち主は投げに回れる(投げた人の独楽が回らないと、ケクラレて外に出ても意味が無かったかと…)。もちろん回らなかったら円の中にインw イキナガではないので。円の外に出ない独楽の人は、ただただ自分の独楽の無事を祈るだけ。
※オンマをしてから独楽をぶつけて外に出すのもあり。
※無造作に置かれるため独楽のハラが晒されており、とんでもない箇所がケクラれることもあったりする。イキナガ用に独楽の上部には、ケクラレ対策のためにボンドなどで補強しているが、エンダシの場合はどうにもならかったりする。
5 円内の独楽が無くなるか、投げ手が居なくなるまで続く。この条件が満たされれば2に戻る。

こんな感じだったかと思い出してみた。
これ以外にも何か思い出せば追加・整理をしていくつもり。

全国的な喧嘩独楽の遊び方は、イキナガのようなものが多いのではと思うので、このエンダシという独楽遊びはかなり独特なものかもしれない。

ちょっとした民俗学的考察

再掲になるがイキナガの謳い文句は、
「イキナガしょぉか しょぉくらべ ベニさんがベソかいた 隣のコマは割れゴマだ!」
僕自身はここまでだが、しりとりの唄で繋ぐなら「た」と「隣」が接続できていないので、これよりも長いものがあったのではと想定できるだろう。

特に注目したいのは短いパターンでも使われた「イキナガしょぉか しょぉくらべ」だ。
これを僕は
「イキナガしようよ、くらべっこしよう」
という意味で感覚的に捉えていた。

ところが長崎県の佐世保ゴマの紹介動画などでは投げる時の掛け声に、
「イキナガショウモン ショウクラベ」
というのがあって、「息長勝問勝競べ」と漢字も見えたりする。

これを参考にすると、ショウ=勝ちなら、確かにこの漢字の意味っぽくはなるなと。
ただモン=問のところは意味が見えない、単に方言的な「…モン(クマモンのようなw)」ではないかと思われるのだがはっきりとは分からない。
「しょぉ」は「~をしよう」の意ではなくて、何か別の意味があったことが窺えると思う。

もう一つ、この掛詞がほぼ同じであるという事で、イキナガの発生に佐世保系の大分市民が居たのだろうと思えた。
ところが佐世保の先輩に話を聞くと、
「いやぁ、そんな掛け声知らんでw 投げてぶっつけるのに忙しくて謳う暇ないわ」
との答えが@@
まさか大分⇒佐世保に伝播か? なんて妄想も捗ってしまう。

一方でエンダシだが、似たような遊びを探しているところ。
独楽遊びでは見つからないかもしれないが、町史などを見た際は子供の遊びも確認していきたいなと。

ただ、地面に十字を書いて遊ぶ「釘サシ」というのがあった。

これは自分が小学校低学年の頃に禁止(投げた釘が足に刺さったりしたことがあったらしい@@)となったので、詳細なルールは兄貴分たちから聞いたくらいではっきりしないが、中心に釘を投げていたと言ってたので、もしかエンダシもこれからヒントを得てたのか? なんて思ってたりはする。

北川ゴマの流行期を大分市の近現代史の中でみるならば、昭和34年に着手された新産都計画(新産業都市計画)により海岸線が埋め立てられ重化学工業地帯が形成、その代表格でもある世界最大級高炉を持った新日鉄などが転入者の促進を促し、市内には多くの団地が作られることとなった時期にあたる。

北川ゴマを追いかけていくと、この時期の文化伝播(佐世保の例)の一つの形が見えてくるかもしれないと思われる。
今後の子供の遊びを調べることで、近代よりも以前の伝播とは違った形なども見えてくるかもしれないので随時追跡していきたい。

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民俗学
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