北川独楽でケクる! 昭和50年代大分っ子の遊び

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昔の遊び 北川独楽

昭和40年の終わりから50年頃の大分市内、冬の小学校校庭では放課後や休み時間になると所謂「喧嘩独楽」で遊ぶのが一つの流行であり、当時大分市春日にあった北川木工所が製作したツクリやセッケと呼ばれる独特の独楽がそれを担っていた。

昭和40年代頃に産まれ、大分市内で過ごした少年達ならば、独楽と云えばこの北川製作所で作られた物を思い描くはず、絶対w
ここでは当時の思いも込めて「北川独楽」と呼んでおきたい。

そして筆者を含めたガキ共が遊んでいたのは、「イキナガ」と「エンダシ(円出し)」の2種類。
一般には喧嘩ゴマ系の遊び方と言えると思うが、北川独楽はこれらの遊びの為に、そして「相手の独楽をケクるためにのみあった」とも言える。

「いくでぇ~、どっきゃぁ~!」の掛け声とともに、相手の独楽をケクりまくったガキどもが大分市内には多くいたはず♪

それでも何時の間にかこの独楽文化は消え、あの頃の少年達の心の中だけに残っているだけとなってしまった。

※ページの移設に伴い、分割改稿いたしました。

北川木工所の独楽

独楽に興味を持ったガキ共の一人であった筆者も、友人たちと遊ぶために父親に独楽(北川のを略して)をねだったところ、平ゴマやヘソゴマと呼ばれていた(佐世保や八女系)コマを買ってきてくれた。

全国各地方毎に独特な種類があるので一概には言えないが、独楽と云われると、まぁ恐らくは以下の独楽を想像する人が多いのではないだろうか。

一般的な独楽、平ゴマや皿ゴマと呼んだ

だから、少年だった僕はゴネることとなる、
「ちごおっちゃ!(北川のを略して)富士とか火山が欲しいの!」と。

当時も独楽は雑貨屋や駄菓子屋で売られていたが平ゴマやヘソゴマ系の物が主流であったと思う。

大分市の子供らが欲しがった北川独楽は大分市春日にあった北川木工所で直接製作と販売が行われていた。

後々には一部の雑貨屋等で北川独楽を販売していた店もあったように聞いているが、特に初期の頃は春日まで直接出向かなければまず手に入らなかったように覚えている。

九州を代表する八女独楽と佐世保独楽

現在でも滔々と作られており、遊びとしても確立してると思うのが「八女独楽」と「佐世保独楽」だ。

それぞれに紹介サイトなどに遊び方などもあるので詳細はそちらを、また「博多独楽」も忘れてるわけではないけれど、少し芸能色も混じってくるのでここでは割愛♪

さて、北部九州方面の方々にはお馴染みかもしれないが、参考までに八女独楽と佐世保独楽の画像をばドンと。

八女独楽(左)と佐世保独楽(右)
色彩も豊かな八女独楽と佐世保独楽

上記画像は「国産木のおもちゃ通販 隈本コマ」様から引用、通販もありますので一度ご覧ください!

で当時の大分のガキどもがこれを見ると、
「ヒラ(八女独楽)とヘソ(佐世保独楽)」
と呼んだはず。

そして残念ながら、ヒラやヘソをを持ってきても大分っ子達の独楽遊びの仲間入りは難しかった、無念www

※佐世保独楽、博多独楽、八女独楽、肥後独楽などと調べれば出てくると思うけれど、これは当時の子供たちが呼んでいたものではなく、あくまでも現在および後世で地域独楽の特徴及び象徴として呼ばれているものであることには注意。
 佐世保独楽と記す場合はあくまでも現在残っている形式の独楽のみを指し、佐世保の独楽遊びなどとは意味に若干のずれがあると思うので注意が必要。北川独楽も同様に扱いたい。

北川独楽の特徴

ヘソ型独楽
画像引用:消え行くアメリカ車たちを追って様

さて、そんな北川独楽は直径4cm程の木製の本体から突き出た2cm強の鉄芯からできており、上記画像の通り塗装などは一切ない。

九州の他地域の独楽と比べれば大きさは一回り小さくて芯は長めと言えるだろう。

現在に残っている佐世保独楽や八女独楽をはじめ一般的な独楽は、大きさや塗りの色こそ違いはあるが形状自体はほぼ変わらないように思う。

北川独楽の数々
画像引用:消え行くアメリカ車たちを追って様

ところが上記写真の様に、筆者には名前の分からない物まであったのが当時大分のガキ共が遊んでいた北川独楽である。下に置かれているのは、回すための紐でエンナと呼んでいたもの。

そして数えることはできないほど多彩な上部の形状を持ち、それぞれに名前が付けられた独楽、それが北川独楽の特徴。

※北川独楽とは呼んでいるが、これは独楽自体の形状や当時の言葉ではなく、北川木工所の親父さんが作ったもの全てが北川独楽である。

各名称は上部分に削り出された形で決まり、富士、火山、ヘソなどが基本的(おそらく初期段階かと)なの物で、段付きや外輪山などといった意匠が施される場合もあり、基本形状は年々増えていくこととなった。

これほどの種類を産み出した北川独楽だがその豊富さは注文するときの方法に理由があったし、気軽に子どもの要望に応えた親父さんの腕も素晴らしかったと思う。

注文方法はツクリとセッケの2種類で、ツクリは既に定番となっている物なので「富士」とか「火山」をお願いしますと言えばよいのだが、セッケは子ども自ら書いた図面を基に削り出してくれるもの。

値段は少し記憶が怪しいがツクリが250円で、セッケは300円ほどだったように思う。(ちなみに当時の遠足のおやつ予算が300円程w)

筆者が小学校の高学年から中学生頃だろう(推測)か、子どもの期待に応えていた北川独楽(木工所の親父さん)は良い意味で馬鹿ガキ共と一緒に暴走したのだと思う。
リンゴ、エベレスト、ウンチ、ボウスと言った独楽から、注文した人間以外は何と呼んでよいのか分からないものまでを次々に産み出した。

初めてウンチの設計図を持って行った勇気ある馬鹿ガキを賞賛すべきか、子どものくだらない設計図を馬鹿にすることなく真剣に削り出してくれた北川木工所の親父さんの腕と器を賞賛すべきかは筆者には何とも言えない。

それでも、五つ歳下の弟世代が独楽をする頃にはこれらウンチなどが大人気となっていたようだ。

北川木工所では第一と第二の二ケ所とどちらでも作ってくれており、当時は兄弟だか親戚がやっていると聞いた。
子どもの要望に応えつつ、2次元の子どもの絵を基に独楽を作り上げていた木工所の親父さんの腕が偲ばれる。

北川独楽の回し方

種類や作り方まで独特な北川独楽であるが、喧嘩ゴマ遊びで使うのが基本、というかそれのみ。

曲芸などで普通に見られる独楽回しのような横投げや下手投げでなく、野球の上手投げのような形(自分はスリークォーター風)で地面に投げおろして回すのが北川独楽。

一応器用な子は、綱渡りやほおり投げてのオンマはしてたが、イキナガやエンダシには無用だった…。

ちょうど子どもたちが北川独楽らしきもの♪を回している貴重な動画があるので紹介しておこう。

良い独楽ほど回転時の唸りが良く、聞き惚れるような音がした、オンマして耳元で聞くのが気持ちよし♪

まぁ、これは回さないと形だけではわからないが、良い唸りの独楽ほど長く回っていたと思う。

こちらは王子神社の「コマ回し大会」の一コマ。
北川独楽がアップで映っているので、回転の様子が分かりやすいと思う。

そして投げとイキツギに重要なのがエンナ(紐)。

イキツギは他地域ではコマを叩くようにしているものを見たが、北川独楽は芯にエンナを軽く添わせる感じで一気に同回転方向へ振りぬくことを言う。
右巻きか左巻きかでイキツギの振りぬく方向を変えないと、回転の勢いを弱めることになる。

で、入手しやすい編み目の大きい紐(縄とかよっているモノ)は使いづらく、独楽本体への密着感が少なかったと思う。

軽く回すだけなら網目の大きな紐でも問題は無いのだけれど、イキナガやエンダシという勝負が掛かってる際に、すっぽ抜けたりミスするのは痛いと思っていた。

特にエンダシで負けると無防備でケクラれる(個人的に最嫌なのは独楽の横)のは辛いのでね…。

エンナ
引用:山村圭(twitter)

お借りした画像のように網目の小さいものが使いやすく、尻は5円玉などで小指と薬指にてしっかりと固定できるようにしていた。
エンナの先端にはコブなどもつけず、巻くときに舐めて整えるだけ。

またエンナの網目が大きかったり先端に団子やコブがあると勢いを弱めるだけでなく、あらぬ方向に飛んでいくこととなり負けに直結するのでみんな避けていた。

さて、詳細な遊び方(イキナガ・エンダシ)などは次の記事で♪
当時を思い出せる方々が居られるなら、とても嬉しい。

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民俗学
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