玖珠川・大山川にて、鮎友釣り

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筑後川水系の鮎釣り師
甦る往時のアユ釣りスタイル

長崎県のN先輩より 「鮎友釣りの釣行記だけどよければ」と釣行記を頂きました。
度々お世話になっている先輩で、以前はサイト運営もされておりました。
「最近は体調が悪くてねぇ遠出は…」とは気がかりですが、是非筑後川や八女川方面での釣り姿を見たいものです。

今回の釣行記は、平成2年(1990年)の8月とのこと。憧渓が四国山中をスーパーカブで彷徨っていた頃のお話です。菅笠とベストが懐かしい写真をありがとうございます。

遠征初日、玖珠川に遊び天ケ瀬温泉の宿に憩う

「ここは、きのう投網をしているから駄目だよ」

 その駄目なポイントで半日を費やし、2匹の囮鮎はすでに白い腹を見せていた。
激流に翻弄され、遠慮がちに竿を出していたそんな僕たちを見かねてか、「これで釣りなさい」と地元の釣師が釣れたばかりの活きの良い野鮎を渡しながらそう教えてくれた。

 師匠と僕は初めて県外河川に釣行し、いつもの地元の小さい河川との差にとまどいながら天ヶ瀬の谷底をとうとうと流れる玖珠川で昼から竿を出して遊んでいた。

 僕はその野鮎を師匠に譲ると、心地よい清流の中に浸かり、さきほど旅先で受けた人情の余韻を楽しんだ後、竿をしまい予約していた宿へ入った。
 案内された2階の部屋からは大石に激突し、白波を立てて流れる玖珠川の「動」とほどよく調和した釣師たちの「静」が窓枠の中で一枚の絵になって動きを止めていた。

 夜の食膳には川の幸が並び、香ばしい塩焼き鮎の一品は産地ならではのものであった。もともと酒には弱い二人であったが、疲れも手伝って、たった一本のビールで二人とも上機嫌となり、いつしか横になると今日一日の事を語り合った。目をつぶっていると、充実した気怠さが不意に襲ってきてそのまま眠ってしまいそうになった。慌てて起きあがり窓際に立つと大小のカゲロウが貼り付くように窓ガラスにとまり、時折の川風に揺れていた。すでに外は夕闇であり、対岸の斜面をどろんとした光を放ちながら列車が通り過ぎていた。

 温泉で疲れを流し、温かくなった身体を浴衣に包み、その肌触りを楽しみながら布団の中で手足を伸ばし、ただ黙って天井を見つめ続けた。夜になると冷える土地柄なのか、夏だというのに少々厚めの掛け布団が使われていた。

 師匠が、時々話しかける風でもなく口を開き、その声は8畳の空間にゆっくりと広がり、そして静かに玖珠川の流れに吸収されていった。僕の意識も玖珠川の流れと溶け合い次第に遠のいて行った。

高塚不動尊を経て、大山川にて友釣り

 絶え間ない玖珠川の流れと谷合の暗闇と共に眠り、そして眩い陽光に包まれて心地よく目覚めた。川を挟んで谷底の両側に並ぶ温泉街そのものが朝もやの中に浮かび、対岸の段々畑では白く真っすぐに延びた道を一人の男が歩いていた。

 9時過ぎに宿を出て杖立温泉へ向かった。
昨晩、宿の仲居さんから教えられていた高塚不動尊へお参りするために国道210号線を途中から外れた。曲がりくねった急勾配の道を20分程走ると、山あいの道が急に広がり賑わいのある立派な門前町が現れた。
参拝客が鳴らす鐘の音は一時も休むことなく、参道の中段には、たくさんの人の思いを込めた線香の煙が立ちこめていた。僕達も売店で買った線香とローソクに火をつけ香りに包まれながら手を合わせた。

 日田市に戻り三隅川沿いの狭い道を通り抜け、小淵橋を渡り、大山川沿いに国道212号線を杖立へ向かって走った。松原ダムから杖立温泉入口に大分熊本県境をまたいで建つ肥後屋ホテルに着いた時は、途中の急峻な地形を見てすでに僕たちの戦意は萎えてしまっていた。
杖立温泉街見物をするため町中をゆっくりと通り抜け、砂防ダムが見える辺りで一軒の食堂を見つけた僕たちは、少しばかり早い昼食をとる事にした。
食堂の入口には手洗いがあり冷たい山水を引いていたので、囮缶の水を山水と入れ替え、店の奥さんに今年の鮎はどうかと尋ねた。
「去年は投網で4000尾捕った。今年は6月の大雨で鮎が減り、数は少ない」と言い、冷蔵庫から冷凍した一尺ほどの良く太った鮎を持ってきて見せてくれた。
僕たちは杖立温泉での釣りを断念し、赤石川合流点下流の通称「旧千丈橋」下の瀬に入ることにした。途中、千丈橋際の茶屋で煙草と缶ジュースを買い、大山川右岸を走る道に車を乗り入れ数分後に製材工場の敷地内に車を停めた。

師匠殿とN先輩

 高さ3m程の急な護岸に設けられている梯子に抱きつくようにして河原に降り、囮缶から囮鮎を玉網に取り出すと仕掛けを付け逃がすように手から放した。
囮鮎は数分もすると浮き上がってきたので、3号のオモリを鼻先にかませ、目の前の大石の角から垂らすようにして沈めた。 突然、目印が大きく動き疾走した。天領日田に注ぐ大山川の鮎との初めての出合いであった。

 初めて手にした25cm程の野鮎を囮にして、再び鼻先に3号のオモリをかませ、水の中でそっと手を放すとオモリを鼻先にぶら下げながら野鮎は悠然と泳いでいった。
あっけにとられながら竿を立て、2個の大石の上流でいったん分かれた流れが再度一つになる辺りに囮鮎を誘導し当たりを待った。
まもなく糸鳴りをして下流へと目印が走り、僕は2,3歩下流へ下がった。
そして足場を固め竿の弾力を利用して徐々に竿を後方へと引いて鮎を寄せ、突然の鮎の疾走に注意しながら摘み糸をつかみ2尾の鮎を玉網に吊し込んだ。

 一連の動作に満足した僕は河原に竿を置き、西の空に傾いて木々の姿を黒く染めつつある太陽を見ながら煙草に火を着け、師匠を見た。
師匠は静寂そのものと化し、ただひたすら「動」へと移る瞬間を待っていた。

平成2年(1990年)8月26日 長崎県 N先輩

筆者より

およそ30年前に書いた釣行記です。
着ている物も今とは全く違いますね。
すっかり昔の話になってしまいました。

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