九州でエノハを釣るといえば福岡県のエリアは決して人気が高いところではないだろう。しかし、矢部村にひっそりと語り継がれていた物語があるので、ここに紹介したい。
御側川の上流、八ツ目の滝に榎葉魚が棲み付いた物語
昔御側に大へん親孝行の青年がいた。
ある夏の昼さがり、夕飯のおかずにと思って御側川の上流、八ツ滝(王谷尻から御側川の上流にある八ツ目の滝のことをいう)に魚釣りに出かけた。ところがどうしたことか、この日に限って魚は一尾も釣れない。
あたりはだんだん夕闇が迫ってきた。青年はあきらめて帰り支度を始めた。するとその時、水面に一人の白髪のおじいさんの顔が映った。ふと頭を上げてみると、滝の上の岩に仙人のようなおじいさんが立っているではないか。
しばらくたってから、その老人が青年に話しかけた。「青年よ、嘆くでない。何事も辛棒が第一じゃ」と言ったと思うと、その姿は消え去っていた。あとには、ただ榎(えのき)の葉がハラハラと滝壷に舞い落ちてきた。
青年は思い直して、せめて一尾なりとも釣り上げたいと思い、また釣糸を滝壷にたらしてみた。すると、どうだろう。今度は不思議なことに、ググッと大きな手ごたえがあった。引き上げてみると、今まで見たこともない大きな美しい魚がかかってきたではないか。次々に糸を投げ込むと、釣れるわ釣れるわ、またたくまに籠いっぱいになった。青年は喜び勇んで家に帰り夕飯の御馳走を作った。
それから、この魚を「エノハ」というようになったということである。(栗原与市の話) ※「矢部村誌」より転載。
不思議な力を持たされた榎の葉
エノハ名称の由来譚(タン)のもう一つの話型といえるのがこのタイプ。バリエーションとして、山の神(美しい女性で現れるが多い)のパターンも聞く。ここでも榎の葉が川の中に落ちたことでエノハとなったのであり、その語源やいわれとして語られているのがわかるだろう。
民話から見るエノハの由来譚と特徴でも少し述べたが、榎の葉っぱには不思議な力のあったことが窺がえる。
放流の後日譚が意味するものとは?
この矢部村の話では興味深い後日譚が記されている。
それは話者である栗原与市さんの兄市蔵さんが、青年の頃出稼ぎ先からエノハを持ち帰ってこの八ツ滝に数尾放流したので、「エノハ」が御側川に棲息するようになったことと、エノハをアマゴとして紹介しているくだりが付いていること。
エノハの生息域の点からは、以前は居なかったのか?と、朱点のある魚をエノハ(矢部川はヤマメ域?だったのでは)などといったことが気にかかった。また、話としてはその由来譚があるのに、何故お兄さんの放流によりエノハが生息したという話になっているのか?
矢部村の伝説からみるエノハ
この矢部村のエノハ伝説にて語られる仙人と不思議な力を持つ榎の葉そして後日譚、これらはいろんな意味で象徴的であると思っています。
特にエノハを放流したという部分について、時間的に何時くらいなのか?一般的であったのか?など調査できればいいなと考えております。
エノハ(榎葉魚)学詳説
民話・昔話・伝説の世界と史料に見られるエノハ(榎葉魚)の姿から、九州におけるエノハの歴史と民俗を紐解きます。魚類学ではなく、歴史や民俗からエノハそして九州を追求することがテーマ。
- 民話から見るエノハの由来譚と特徴
- 文献資料から見えるエノハ(榎葉魚)の姿 江戸中期以降
- 福岡県矢部村の民話からみるエノハと後日譚
- カガシラとエノハ テンカラ・フライ以前の毛ばり釣り
関連するような口伝、史料、情報がございましたらご教示いただけますと幸いです。
コメント