写真のとおり立派な覆屋に期待を持ってこの岩屋寺石仏を訪れたなら、「なんだこれ?」と裏切られるかも…、そう思わされるほど風化が進んでいる石仏群だ。
確か資料館在職中で文化財保護行政に携わっていた頃に国指定から県指定になった事を聞いた(まぁ格下げともいうかネ)ため、「うちの管内の文化財は大丈夫か?」と少しばかり焦ったような記憶がある、まぁ大分市の文化財関連に携わっていなかったのではっきりとはしないのだが…。
大分県内の摩崖仏は柔らい岩質のために木彫仏と変わらないほどの造形を持ったものが多いというのが特徴の一つであるわけだが、それは脆く風化しやすいということも意味している。
国宝となった臼杵石仏も、昔は首が転がり落ちてた(ーー)わけだしねえ、傷んでいる磨崖仏が大分県内に多いのは仕方がない側面もある。その最たる例がこの岩屋寺石仏であったわけだが、この風化と消失への危機感が臼杵石仏をはじめとする大分県内の摩崖仏群の保護を促したという側面もあるような気がするのは僕だけではないと思う♪
今回はそんな岩屋寺石仏を久しぶりに訪れることができたので、その紹介と文化財保護について少しばかり記しておきたい。
岩屋寺石仏の概要
文 化 財 | 県史跡 |
所 在 地 | 大分県大分市上野丘東5 |
駐 車 場 | 有(無料) ※上写真の右側 |
お問合せ | 大分市文化財課 097-537-5639 |
アクセス | 【バス】JR大分駅前から「古国府循環」行で約10分、「古国府」下車すぐ。 ※岩屋寺バス停は10号線側にあるのでご注意を^^ |
岩屋寺石仏はJR大分駅から南東に直線距離で凡そ1.6km程、上野丘高校や大分市美術館のある上野台地東端付近の龍ヶ鼻に位置し、南面する崖に刻まれた石仏群で、平安時代後期頃の作とされており如来坐像(推定:薬師)を中心に全十七体の摩崖仏で構成される。
西側の坂を登ると豊後大友氏の菩提寺・祈願寺としても知られ同石仏にも由来のある円寿寺があるだけでなく、元町石仏、大友氏の上原館跡、大臣塚古墳、伽藍石仏、大友氏館跡庭園などの古代から中世期の大分を窺わせる文化財が周辺に点在し、史跡探索を楽しむことができる。
岩屋寺石仏の位置
岩屋寺石仏は国道10号古国府北交差点から上野丘方面の旧道に進んですぐの正面右手、立派な覆屋があるのですぐにそれと分かるだろう、駐車場は向かって右側の古国府バス停傍にある。
岩屋寺石仏とは
中央にあるひときわ大きな如来坐像(推定)をはさんで、向かって右側には十一面観音菩薩立像など六像、また向かって左側には不動明王立像など十像が掘り出され、全十七体の磨崖仏で構成されていたことが確認されている。
製作年代は平安時代後期頃から鎌倉時代以降辺りとされており、当時の優れた仏教美術・信仰と豊後石工の技術を窺うことができる磨崖仏といえるだろう。
すぐ北にある大分元町石仏と同じように中央の如来坐像を薬師如来、その左右に釈迦如来・阿弥陀如来の二組の三尊像を設置し、過去・現在・未来の三世信仰を表そうとした仏像配置であったと推測されている。
また覆屋右手の崖には、かつて小仏像を収めていた千仏龕(せんぶつがん)もあり周辺の同地への崇敬が見て取れる。
さて上写真がその如来坐像なのだが、ここまで風化していると仏様の影を彫ったとでも言えそうなほど。
国指定の文化財を実際に保護・保全していくのは市町村であり、同様の立場だった自分からすると「大分市よ、何とかならんかったものか…」とも思うけれど、コンクリでおらおらと固めるってわけにもいかず、染み出す水や周辺の大気と岩の関連調査にも予算が必要だしねぇ。
県を急かして国の対応(予算と専門家を寄越せwと)を待つくらいしかできんかったやろうなと。
そんな石仏群の中で、現状最も形を残しているのが一番右にあるこの十一面観音菩薩立像。
頭頂部及び顔の下半分に両手も崩落しているものの、腹部から下には色彩が施されているのが分かると思う、また右側の壁下部にある小穴には「天文十五年(1546)七月」の刻銘があり、これは覆屋を修復した際の年号ではといわれる。
今はこの十一面観音菩薩立像を参考にして往時に想いを馳せるしかないだろう。
さて、こちらは三尊像(中央の主尊に左右の両侍を配置する)だろうが、石の専門家でなくても分かるように凝灰岩質で特に岩質もあらく、永年の風雨等のために全ての仏像彫刻面は崩壊が進みすぎて、像名が判別できないどころか、仏像があったことすら判然としない箇所も見受けられる。
以前は国史跡だったものが、現在の県史跡に変更された(所謂、格下げ…)のも仕方ないところ。
小学六年生の時に郷土史の調査で、この岩屋寺石仏・元町石仏・太郎塚を見て回った当時の当てにならない記憶だと、胸部や腹部から下の侵食こそ激しいもののまだまだ見られたような気もしたが、四十数年を経た現状は輪郭すらとどめていない像ばかりとなっている。
手持ち資料及び画像に古い岩屋寺石仏の画像が無かったので、「フォトギャラリー 石仏と野鳥」にて以前の画像があったので参考のため比較としてあげてみたい。
比較として十一面観音菩薩立像と同じ三尊像の部分をあげてみた。
「フォトギャラリー 石仏と野鳥」さんの写真が何時のものかは不明だが、ここ10数年前程と考えて現在の状態と比べてもより風化が進んだことが見て取れる。
そう考えると、もう10数年も経てば彫り影しか残ってない状況になるかもしれず、議会で取り上げられる以前に「県指定から市指定へ」か「指定解除」を迫られる事態になるかも…。
所有者もしくは地元関連団体や地権者がどうなっているのか知らないので何とも言えないが。
まぁ風化理由を時代のせい(当時の技術かな…w)にして、文化財保護と立地・歴史的観点からの重要性(元町石仏等と紐付けて)も鑑みつつ指定内容と理由変更をし、名称も「岩屋寺石仏群址」とすればまぁなんとか議会も通る? かもかも。
岩屋寺という地名と地図から見えるもの
この「岩屋寺」の寺としての詳細は不明だが、10号線にバス停名としても残っているところから寺由来の小字もしくは地域地名として残っていたのだろう。
時間を遡るなら、平安時代後期の「宇佐大鏡」(宇佐八幡神宮文書)の中に天喜元年(1053)と康平二年(1059)に「岩屋寺」の寺名が見えており、当時この一帯は宇佐神宮の領地であったようで元町石仏と共に宇佐関連の寺域が形成されていたのかもしれない。
地名・寺名のみを見ると大分県内だけでなく主に西日本を中心に岩屋寺もしくは岩屋という名称は大字や町名も含めて散見されるため、それほど珍しいものでは無い。
戦国の人気武将である立花宗茂の実父高橋紹運(たかはしじょううん。吉弘鎮理)が最期を迎えた福岡県の「岩屋城」の名を思い浮かべる人もいるはず、いや戦国好きなら「間違いなくww」だろう。
この地名及び寺名には岩窟や崖をはじめとして摩崖仏・石仏等が残っている例が多く見られるため、覆屋なりお堂が付随していたことや岩窟の仏様等に由来する名称かと推測できる、もちろん個別に見る必要はあるが♪
同地の岩屋寺もこれら摩崖仏に名称・地名由来があるとみれば、「宇佐大鏡」に記された時期には既に造立されていたと考えるのが素直であろうから、造立の年代は鎌倉期以降とはならないのかもしれないと思われる。
旧地図から見える岩屋寺石仏の姿
次に紹介する地図は、1914年頃の大分市周辺地図(hinataGIS、今昔マップ on the web 参照)から上野台地東端部分を拡大したもの。
上野台地を元町方面に迂回する現国道10号とはルートを違えており、旧10号にあたる道が岩屋寺から上野の台地を越えて県庁の東側へと繋がっており、当時の主要路であったことが分かる。
大分を代表する臼杵石仏をはじめとして元町石仏、菅尾石仏等は交通量のある道などから離れているのとは違い、交通量の多い場所にあったたため、脆い石質だけでなくこの立地条件による車の排気ガスも風化を推し進めた原因か、とされることもある。
明治大正期よりもさらに遡って鎌倉期の大分川の流れが分かるのが上記地図(参考:国土交通省 九州の一級河川 大分川)。
岩屋寺石仏造立前後にあたるこの時期、大分川は現在よりも北側を流れ石仏付近である「龍ケ鼻」付近で流れが大きく変化しており、この地が「龍ケ鼻」と呼ばれた理由であって、護岸が無かったであろう当時は石仏から川の流れがより近くに感じられたことだろう。
伝承等が残っていればもう少し見えてくるものがあるのかもしれないが、水害関連の鎮魂の意味があったのかもしれないと地図を見ながら妄想を逞しくしておきたいww
岩屋寺石仏を訪れて
磨崖仏覆屋の周囲には各種の石造物(後家合わせの石塔、石造地蔵群、六地蔵他多数)が点在していたので、これらの撮影に思ったよりも時間をとられてしまった。
中でも頭部を修復したお地蔵様や失われた頭部にせめてもと小石を載せた六地蔵もあり、これらは主たる岩屋寺石仏の崩壊・風化と違って、斬首・破壊@@の跡。
これは「大友宗麟の仕業か?」とか「廃仏毀釈の時か?」など、民俗心意及び伝承類の有無が気になったりもしているが、元々は岩屋寺石仏ではないところの物が移設されたのだろう、関わった人々の想いが少しだけ伝わってくる気がした。
また、岩屋という地名もこれら岩窟由来だけでなく地形由来の地名と考えてよさそうでもあるため、伝承・地名・語彙調査の中でなにがしかの示唆を得たいと思う。
ここまで見てきたように、個人的には文化財保護の難しさと民俗的な興味がグングンと湧き上がる岩屋寺石仏なのだが、無念ながらに記せば観光目的で来るにはあまりオススメはできないかなぁと。
元町石仏をはじめとして周辺に点在する大友氏の上原館跡、大臣塚古墳、伽藍石仏、大友氏館跡庭園等とセットで訪う方が良いだろう。
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