肥後国山鹿郡と山本郡の江戸期史料から菊池川中流域の魚名を見る

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熊本県山鹿郡・山本郡の江戸期魚名一覧

ここでは肥後国熊本領産物帳に記されている魚名の比較検討及び魚種比定の一手段として、同国山鹿郡の山鹿・中村手永及び山本郡正院手永の産物史料にある魚名を確認しておく事、まぁこれが一つの目的。
また当時の肥後国山鹿郡及び山本郡は、現在の熊本県山鹿市域(旧菊鹿町の一部を除く)及び熊本市北区の一部(旧植木町域)なので、同時に菊池川水系中流域や支流岩野川、合志川等の江戸時代中期頃の生息魚種の一部も見えてくるだろうと。

さて、今回の史料は『山鹿郡山鹿中村両手永名品』と『山本郡正院手永土産』というもので、肥後細川藩が江戸幕府に提出した産物帳を作成する際の各地域別基礎資料となったものの一部とされる。
ただ原本の史料ではなく、科学書院版産物帳の解説にある資料篇の一部からの魚名抽出であることはお断りしておく。

手永(てなが)については耳慣れない方も多いと思うけれど、これは細川氏に独特な領国経営の地方支配の形態。
総奉行→郡奉行→総庄屋→庄屋→肝煎→山ノ口という縦系列の農村支配の中、郡を各手永に分け総庄屋が各村の庄屋の上に居るという形をとっている。

細川氏が豊前豊後から肥後へと移封されたりしたのだけれど、そのお陰で杵築藩だったり豊後国内の肥後領に手永制が残ったりしたのでいきなり国東半島やら野津原あたりの近世史を触ると、「手永ってなんじゃ?」となったりする。

まぁ江戸期農村支配も各藩によって面倒…いやいや色々と特色があるので、ここでは細川氏が絡んだ領地には手永制があったと覚えておくだけで構わない。

ではそんな菊池川中流域の各手永総庄屋の提出した魚名をみていこう♪

江戸期山鹿郡・山本郡内の菊池川水系魚名一覧

各魚名を書き出しながら、「ちょ、まて…」やら「まじかぁ」などと一人で呟きながらの作業でした。
原本確認したいというのが本音です、まじでw

そのためもありまして詳細な考察や注意事項は、記されていた魚名と項を別にしておきました。

==凡例============
※ 原則として左詰め魚名は原文のママ。
※ 変換できない文字やサーバー非対応のものは、〇編+旁等にて示した。
※ ⇒○○の魚名は、比定した標準和名もしくは一般的な魚名。比定できていない魚名は調査中。
※ 本文記載以外のカタカナ魚名は標準和名か現代で一般的な表現とした。平仮名や「」内は当時の読み書きを意識したもの。
※ ▼は筆者の考察、考察等
================

山鹿郡山鹿中村両手永名品の魚名

享保・元文諸国産物帳集成・第13巻[豊後・肥後] 671頁より。

鯉 ⇒ コイ
鯽=魚+即の旧字(皀+卩) ⇒ フナもしくはタナゴか?
鱸 ⇒ スズキ
 ▼突っ込みたいが、無きにしも非ず。
  河口から約35km以上の上流域にあたる。
鯰 ⇒ ナマズ
鰡 ⇒ ボラ
 ▼当然これも突っ込みたいw
イダ ⇒ウグイ
エフナ ⇒ ボラの幼魚か?
 ▼もしボラの幼魚なら「むむむ」でしょw
鮎 ⇒ アユ
カマツカ ⇒ カマツカ
鰆 ⇒ 読みだけならほぼサワラか?
 ▼なるほど、菊池川はサワラが遡上していたと…、うそぉん@@。
ウナギ ⇒ ウナギ
トンクハウ ⇒ カジカの類か?
コリ ⇒ ハゼ、ヨシノボリの類か?
油目 ⇒ タカハヤ
キゝウ ⇒ ギギか
シフタ ⇒ ヒイラギかタナゴか?
 ▼産物帳ではシイノフタなどとある。
  ただしシビンチャ、ビンタならばタナゴとなる。
蝦 ⇒ エビ
蟹 ⇒ カニ
泥亀 ⇒ カメ類
石亀 ⇒ カメ類
水クリ ⇒ オヤニラミか
ヱノハ 山鹿ニナシ ⇒ ヤマメ
 ▼この記述だと中村手永にのみヤマメが居たことになる。
目高 ⇒ メダカ
魚+帝 山鹿ニナシ ⇒ さんせううを(オオサンショウウオ)か?
 ▼漢字の意味には他にも、なまづ、いか、はまちなども見られる。
  ゑのはと同じく、これも中村手永にのみ生息していたのだろう。
  読みが正しければ、菊池川には当時からオオサンショウウオが居たことになる。
ヲコゼ ⇒ アユカケの類もしくはヤマノカミか?
 ▼これも注意。
  本当にオコゼなのか大型のハゼ類なのか要調査。

【史料解説】

『山鹿郡山鹿中村両手永名品』にある魚名は『山本郡正院手永土産』と比較しても多い。
これは菊池川本流筋という山鹿郡の位置及び山本郡よりも高低差・流程を持つ支流があるからと考えられる。

「ヱノハ」や「魚+帝」に付記された「山鹿ニナシ」という記述を考慮すると、菊池川としての産物を記したものという可能性もあるが、ボラ・スズキ・ヒイラギなど以外の汽水域の魚記載が少ないためこれはなく、山鹿郡内の魚種記載で間違いないと思う。

ただし、「山鹿ニナシ」や「中村ニナシ」等の記述は他産物(菌類、虫類、草類他)にも見られるため、資料作成にあたって群奉行以上の役職からの問いもしくはある種の雛型があった可能性はある。

ボラやスズキの遡上は当然あり得るけれどもサワラは少しどうだろうか、「鰆」の字を追いかける必要性はあると考える。
ヒイラギやハヤなどの魚名がはっきりしないため今一つすっきりしないのが現状である。

※山鹿郡は一郡二手永。

とにかく、原本を確認しないとすっきりしないw

山本郡正院手永土産の魚名

享保・元文諸国産物帳集成・第13巻[豊後・肥後] 672頁。

鯽=魚+即の旧字(皀+卩) ⇒ フナもしくはタナゴか?
魚+尞 ⇒ 不明
 ▼魚名漢字にかすりもしなかった逸品、いや逸字というべきか。
  調査待ち、かつ原本確認したい筆頭記述。
イダ ⇒ ウグイ
鮎 ⇒ アユ
カマヅカ ⇒ カマツカ
鰆 ⇒ 読みだけならほぼサワラか?
 ▼これは本当にサワラ遡上の可能性が…。
  分かった! 船で下って有明海まで漁に行ってたんやろ♪
鰻 ⇒ ウナギ
泥鮪 ⇒ ドジョウか?
 ▼泥鰌が通常の表記ではあるけれど、漢字使用例としては今後の調査待ちというところ。
ドンクハウ ⇒ カジカの類か?
ゴリ ⇒ ハゼ、ヨシノボリの類か?
油目 ⇒ タカハヤ
ギゞウ ⇒ ギギか
シブタ ⇒ ヒイラギかタナゴか?
 ▼産物帳ではシイノフタなどとある。
  ただしシビンチャ、ビンタならばタナゴとなる。
蝦 ⇒ エビ
蟹 ⇒ カニ
カメ ⇒ カメ類
目高 ⇒ メダカ

【史料解説】

『山本郡正院手永土産』には「正院ニナシ」等という記述は他産物を含めて全く見られず、『山鹿郡山鹿中村両手永名品』とは違いが見られる。

また魚名数の少なさは立地による漁獲だけでなく、山鹿郡と山本郡の魚に対する姿勢の違いもあるかもしれず、これらは同地域の年中行事などを確認しておくのも面白い。

※山本郡は一郡一手永。

山鹿郡と山本郡を流れる菊池川とその支流名

『山鹿郡山鹿中村両手永名品』と『山本郡正院手永土産』に記されている魚名は先述の通り現山鹿市及び熊本市北区あたりで、水系で見ると菊池川中流域と支流の岩野川、吉田川、岩原川、千田川、上内田川に合志川(下流)と豊田川など。
 ※上内田川の支流木野川の一部は両手永と両郡外。
  山鹿市のうち菊鹿町松尾・菊鹿町米原・菊鹿町木野・菊鹿町宮原・菊鹿町阿佐古・菊鹿町池永等。

現在の魚名と比較する際、生息域を確認しつつという作業も生まれるので河川名をあげておくことにした。
生息魚種は大きく変わらないとは思うのだが、一応菊池川本流(現菊池市域)及び合志川の上源流域は範囲外となる。

また両郡内の池や沼や水路に生息していた魚種も当然含まれているはず。

ただ土地をメインに時間軸を遡ると、川名の変遷や境界割を含めた地誌まで興味の範疇に入り還ってこれなくなるので、さっくりとこれらの範囲と我慢し、次段にてその魚名のみを追いかけてみる♪

菊池川中流域の江戸期魚名表現の考察

まずは参考のために現在知られている菊池川に生息する魚類名を確認しておこう。

【下流及び汽水域】
マハゼ、ボラ、スズキ、ヒイラギ、ムツゴロウ、ヤマノカミ、アブラボテ、タナゴ、タナゴ、ツチフキ、ヒガイ、スナヤツメ他
【中流域】
オイカワ、カワムツ、アユ、オヤニラミ、ギンブナ、コイ、ウグイ、ヨシノボリ、メダカ、ドジョウ他
【上・源流域】
ヤマメ、タカハヤ、ムギツク

その他魚種の名前も見られたが、外来種や詳細魚種については一部を省いた。

ハヤ類 

山鹿郡、山本郡共通。
漢字の訓みの問題は残っているが、油目とイダを除いたハヤ類の記述が見られない。
ハヤ類が居なかったということはないだろうから、「魚+即の旧字(皀+卩)」、「魚+尞」、「しぶた」の解析待ちというところ。

ヤマメ

山鹿郡のみに記載有。

初稿段階で山鹿ニナシを「山鹿郡にナシ」と誤解していた、正確には中村手永にヤマメは生息していた。
山鹿手永と中村手永の区域を地図に落とさなかった手抜きがここで出た…。

岩野川源流域の多久や椎持、上内田川の矢谷などが中村手永なのでその範囲に生息していたと考えられそうだ。

自説(w)であった「ヤマメの移植と伝説はセット」が補強できるかと期待したが、自分で粉砕しておこう♪

スズキとボラ

山鹿郡のみに記載有。

可能性としても常時現山鹿市域にまで遡上していたことも否定できないが、全く別の読みで別魚種ということも否定はできない、まぁないかw
時代背景からもスズキやボラは貴重なたんぱく源もしくは主力商品魚種の可能性は高く、「鰆=サワラ」でもないので特に不都合の無い記述ではあるかとは思う。
特にボラは近年にり河口域などの水質悪化により商品価値を落した魚種であるけれど、成長魚であることからも分かるように江戸期以前は非常に珍重されていた。

菊池川の漁労や漁獲などを見る必要性もあるのだが、今回は手が回らない。

「えふな」は肥後国産物帳にも記載があり、現段階では「物類称呼」を参照にボラの幼魚としている。

【参考】有明海は潮汐が非常に大きいことは知られており当然ながらそこに流入する菊池川、筑後川、白川、嘉瀬川などもその影響を強く受けている。
瀬戸内を含めてこれらの河川では汽水域が広くなり「海水性 ~汽水性の魚類優占」が強くなるとのことなので、スズキやボラの遡上が菊池川の奥まであったであろうことは想像できる。

ヒイラギとタナゴ

山鹿郡、山本郡共通。
山鹿郡では「しふた」、山本郡では「しぶた」と記されており、同一の物を指していると考える。

参考として菊池川水系及び熊本の魚名方言をあげてみる。

しいのふた、しいば ⇒ ヒイラギ
しびんちゃ ⇒ タナゴ

下記の読みが不明な漢字の項が明らかになれば見えてくる部分もあるのではっきりとは言えないが、現時点ではヒイラギの方が有力かなと思う。

オコゼかヤマノカミか?

「ヲコゼ」は、山鹿郡のみに記載有。

オニオコゼ、ヤマノカミ、アユカケなどを候補に考えているが、現時点でははっきりとした魚種は分からない。
それでも福岡、佐賀を含めた有明海に流入する河川に棲むヤマノカミが第一候補。

ただし「山の神信仰」との関連が深い魚でありそうかと思う。
これは次点の調査候補とし、今後の魚名調査を進めるためここでは深く触れない。

ヨシノボリ、ハゼ、カジカの類

山鹿郡では「トンクハウ」、「コリ」で山本郡では「ドンクハウ」、「ゴリ」と記載。
「トンクハウ・ドンクハウ」は現在の熊本弁に残る「ドグラ」や「ドンカッチョ」が近いのだろうと思う。

山鹿郡の「ヲコゼ」を含めて、ヨシノボリ、ハゼ、カジカ類を何らかで分類してていたと思うのだが、現時点では詳細が分からない。

ちなみに現在の大分魚名方言ではドンコであるが、『物類称呼』にも九州では「どんぽ」などとも記されているように江戸期は発音を含めて少し違った形のものがあったのだろう。

オヤニラミ

山鹿郡に「水クリ」の記載有。
筑後川水系の魚名方言「みずくりせいべえ」との比較からオヤニラミと比定している。

ただし、現在に残る菊池川水系の魚名方言でオヤニラミは「せいじゃんばば」が知られているので、享保期には「水クリ」だったものがの後に変化した可能性も高く興味が尽きない魚名でもある。

ギギ

山鹿郡では「キゝウ」、山本郡では「ギゞウ」と記載。

菊池川では「げんきう」などの魚名方言が残されているが、これも若干の変化があったのかもしれない。

読みが不明、注意を要する漢字その他

・鯽=魚+即の旧字(皀+卩)
・魚+尞
・鰆
・泥鮪
・魚+帝

これらは科学書院版の誤読の可能性もあるので、やはり原本を確認しないと色々判定できないのが無念。

一応カマツカ、ウナギをはじめその他魚種は現在の標準和名や一般的な魚名と大きく異なっていない点は指摘しておこう。

産物帳の魚名比定、方言情報提供、参考史料他

参考とした史資料及びweb記事。

●盛永俊太郎・安田健編(1989):『享保・元文諸国産物帳集成 第13巻 豊後・肥後』、科学書院。影印本。

●肥後国誌 後藤是山 編 1916年 九州日日新聞社印刷部出版
 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

真名真魚字典

肥後細川藩拾遺

国土交通省菊池川河川事務所

河川汽水域の保全と再生
 国土交通省 国土技術政策総合研究所

両手永の魚名確認の終わりとして

現時点では不明なものが多いので、何とも言い難いというのが素直な感想。
魚類学関連で先行研究みたいのがあると嬉しいんだけどねぇ、さっぱり知らないから手探り状態だというのも素直な感想w

既に江戸期標準和名的な表現も記されているので、群奉行辺りが藩との擦り合わせを行っていたのだろうなと窺うことができたのは、産物帳作成過程が朧気ながら見えてきたとも言える。
総庄屋の報告のままだと方言が強かったのかもしれないのでね。

まぁその分「豊後国之内熊本領産物帳」と同じく方言表記残存は薄い気がするのは残念なところだけど、肥後国産物帳の川魚類の参考にはなったと♪

河川中流域より上の魚種は熊本県内で大きく変わるとは考えにくいので、産物帳等で全く見当がつかない魚種は海や汽水域から想定していくのが近くなるだろうとも感じられた。

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