蓬来山古墳(大分市)へ 庄ノ原台地にある大分川流域最大の前方後円墳

スポンサーリンク
庄ノ原の前方後円墳

県史跡『蓬来山古墳』は、大分自動車道大分ICより南西に直線距離で凡そ600m程、庄ノ原(しょうのはる)台地上の農地を抜けた先にある前方後円墳。

周濠を含めた全長は80m程で、大分川流域で現存する最大規模の古墳とされる。

古墳南には龍音寺があり毎年2月に古墳祭りが開催されている。

蓬来山古墳の位置と道のり

蓬来山古墳 位置図

大分ICから車で凡そ5分と少しで到着、ただ自動車道があるので東か西に迂回する形になる。
バス路線は無かったと思うので、車以外だと少しつらいかもしれない。

庄ノ原中央公園の交差点を南へ曲がれば、後は直進するだけ。
前方にこんもりとした木々のある丘が見えればそこが蓬来山古墳、迷うことはないだろう。

採訪時は、説明版近くに龍音寺の駐車スペースがあったので、挨拶して利用させていただいた。

蓬来山古墳を上空から
google earth pro によって作成

空からだとこんな感じになるかと♪ ドローン必要やと実感。

県史跡 蓬来山古墳

古墳 後円部正面
蓬来山の後円部 北側より撮影

文化財・史跡情報

  • 古墳名 蓬来山古墳
  • 場 所 大分市大字荏隈字庄ノ原
  • 形 状 前方後円墳
  • 規 模 全長60m。後円部直径36m、後円部高さ6m。前方部の幅17m、長約25m、高さ約3m。
  • 築造時期 4世紀中頃
  • 被葬者 大分川流域の首長か?

全体のイメージは説明版にあった測量図を下記にアップで載せておくので参考になれば、と。

蓬莱山古墳の測量図
説明版の測量図写真を拡大して

ある程度大きさがある古墳の撮影は難しいw 雰囲気だけでも伝わればよいかと開き直っておく♪

後円部や周溝の現状は以下の通り。
水はないため周溝内部も歩いて行けるのは貴重な体験となったが、周囲に井戸があるのを見ても時期によっては緩いことがあるかもしれないので足元は注意かも。
また「マムシも居るので、気を付けて^^ね」とは龍音寺の方より。

古墳後円部 南側の周溝
南側より撮影、周溝と後円部
古墳前方部を望む 南側の周溝
南側より。周溝と前方部を望む

墳丘周囲にある周溝を含めた全長は約80m、大分市木ノ上にあった御陵古墳(80m程)が開発で消えたため、大分川流域内では最大の古墳とされる。

後円部頂には箱式石棺があり、緑泥片岩の一枚板や安山岩の板石が使用され、石材を組み込むためのホゾの加工も見られる。
緑泥片岩の産地は大分市東部あたりで、同地域との交流が示唆される。

遺物は盗掘によって不明とのことだが、記載を見るにかなり荒々しいw盗掘だったのでは?と邪推。
副葬品・人骨等は不明、壺形埴輪のみが発掘された模様で、葺石もあったようだ。

盗掘品とか売っぱらうしかないと常々思うのだが、旧家の蔵に眠っていたり、骨董品などに紛れたりしているのだろうか? ということでググってみれば、ヤフオクなんかにも出ているしw

まぁ何故か我が家にも某形式の土器があるわけで、昭和の初め頃に「結婚式の仕出し料理の代金はこれで…」と農家の方が持ってきたという逸話があったりもする。
誰かの家には凄いお宝が眠っているのかもしれないと想像するのは、少しだけ楽しいかも。

前方部外縁の鳥居

前方部を望むように周溝の外縁には、鳥居が建てられている。

蓬来山古墳の年代と上野台地。

後円部と比較して前方部が狭く低いのが古式の特徴で、墳丘から発掘されたのは壺形埴輪のみで円筒埴輪の無いことから4世紀代に築造されたと考えられている。

参考までに別府湾沿岸のざっくりとした古墳編年を見ていただきたい。

別府湾沿岸部の古墳編年表

この中で大分川流域の前方後円墳を築造順に見ると、蓬来山、御陵、大臣塚、永興千人塚となる。
蓬莱山古墳をざっくり4世紀中頃として見ると、魏志倭人伝に記された邪馬台国より後でヤマト政権(大和やら王権やらの問題はとりま措いておこうw)が確立し前方後円墳が普及し始めた頃と考えていいだろう。

また、上野台地周辺で見れば、亀甲山、蓬来山、大臣塚、永興千人塚、弘法穴、丑殿、古宮と続くので、これら古墳の連続性からも大分川流域の首長墓関連と考えられるのは頷ける。

※亀甲山及び御陵の両古墳は消滅ナウ、南無ぅぅぅぅ。

時間軸ではなく場所的に見た時に、蓬来山、丑殿、千代丸の賀来川流域、御陵、世利門、卯漆間(うふま)、下ケ迫等の七瀬川流域稙田地域、弘法穴、丸山、永興千人塚のある永興地域(古宮と亀甲山はこれに含めるか迷うところ)、大臣塚のある上野台地東部地域などに分布が散っている事には、地域権力及び集団や人口の変遷等を考えるのも必要ではないかと思う。

そして8世紀以降に歴史の時間を下ると中心地は上野台地東端部へと移り、その後は大友氏の館へと続いていくことになる。

地域史を見るときに、「奈良や近畿地方の古墳やら遺跡とか参考にしたくもないわ」やら「大分まだましかも…」とか思ったらしいw

秋が見頃とのこと

蓬莱山古墳 前方部
前方部、正面から

蓬来山古墳は説明版以外、復元等の目立った整備はされていない。
程近くの北側にある国史跡 古宮古墳は、周辺の保存工事と見学ルートが整備されている。

この差は、県と国及び古墳の価値などで仕方ないかな。

それでも、開発等で消える古墳も多い中、築造時の姿を思い描けなく(復元しなく)ても、蓬莱山古墳のように木が生い茂る現状のまま残っているのも時間の流れを感じられる良い保存方法(大きく壊れなければそのままで良い)だと思うし、地域や個人が主体となって古墳祭りが行われている現状は凄く良いなぁと文化財保護行政に携わった者として感じられた。

蓬来山古墳北側周溝部
北側後方部と周溝の様子

龍音寺の公式頁によれば、秋の紅葉期が最もオススメとのこと。
近場には、洒落た感じのカフェ、パン屋、洋菓子店もあるので、興味のある方はランチやお買い物ついでに蓬来山古墳をルートに組み込んでみると良いかもしれない♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました